つぶやきコラムG 2001.1.1

皆様、明けましておめでとうございます。
新しい年がスタートする時はいつも心が引き締まる感じがします。 新年にあたって掲げた「決意」や「目標」や「志」を3日坊主にしないことが、まず当面の一番大きな課題です。 そのために私は(これは是非)と思うものについては、新しい手帳の裏表紙になるべく詳しく、はっきりと 書くようにしています。いつもいつも決意や目標のことばかり考えるのは疲れるし、日々の生活に追われて あくせくしている、そんなふとした時に、文字に記してあるそれらの志を目にしては、忘れていた新年の誓いを 思い出す事ができます。ちなみに私の場合、新年の目標は崇高なものではもちろんありません。どちらかというとそんなこと わざわざ書かなくても…というようなくだらないものです。何年も、崇高な出来そうも無い目標を掲げ続けた結果 どんなに小さくても、年末に振り返った時、(今年も全然ダメな自分だった)と思うより、(今年もまずますやったな)と 思いたい!というかなり都合の良い解釈に変わりました。それに、目標は立ててみたものの、動き、生きていく毎日の中で その目標がどうも違うと感じることもあるものです。 ですから項目はなるべく多い方がいいし、なるべく具体的なことなら尚良いだろうと考え、今年も2,3考えたところです。 さて今年はどれくらい「まずまずやれた」項目が出来るでしょうか。まずはのんびりゆっくり行きたいと思います。 これからもこのHPを充実した内容に出来るよう、地道にガンバリマスので、今年も皆様どうぞよろしく お願い致します。

 

つぶやきコラムH 2001.2.1

新しい年になったなあ、と思ったらもう2月。同じような毎日を淡々と過ごしているうちに、時間はどんどん経ってしまいます。 それでも「同じような」というのがポイントで、本当に全く同じ日というのは有り得ないのですから面白い。「同じような」毎日の中に きらりと光る嬉しい事、心に残る楽しい会話、ささやかな感動、小さな考察…たくさんの生きた気持ちが綴られ積み重なって行くのです。

さて、先日、今年のお年玉くじ付き年賀葉書の当選発表がありました。昔は調べる事すらしなかった私ですが、ここ何年かは鼻息も荒く 一枚一枚丁寧に調べ尽くしています。しかしながら毎年結果はほぼ同じ。今年も切手シートが2枚当たっただけでした。今までに切手 シート以外のものは当たった事がありません。頂く賀状の枚数は結構多いと思うのですが、何も当たらない年もあります。

私は昔からくじ運ゼロの女です。福引き、くじ引き、あみだくじ、懸賞と今までの人生でくじと名の付くものにはおよそ縁がないようです。 はじめから当たるわけが無いと思っているので、宝くじも買ったことがありませんし、商店街の福引では20回も引いて20個のティッシュ を持ちかえった事もあるくらいです。それでも懸賞などはまめに応募している方だと思います。しかしこれもほとんど当たった事なしです。
世の中には「出せば当たる」というその道の達人のような人がいて、そんな人の話しを聞くと、旅行・車・ビデオ等など、ただもうびっくり するような商品ばかり。そんなに当たると有難味が薄れるのではないかしら?私だったら鉛筆一本だって大喜びするのになあー。「当ててあ げる甲斐」というものもあるのになあー。と誰とも無く、ぼやいても仕方がないことを独り言です。 でも悔しいから言う訳ではありませんが、私のようなタイプの人間は何か大きいものがどーんと当たったら、(何か代わりに悪い事でも起き るのではないか)と不安になってしまうに違いありません。運の総量はきっと決まっているのだからこんなところで一杯使ってはいけないの ではないか…!そうだそうだ、あー今回も当たらなくてヨカッタ、ヨカッタ。結局そんな辻褄合わせが慣れっこになってしまっただけだとは 思いますが。

何かあっと驚くようなものが当たったらこの場を借りて華々しくご報告させて頂きます。いつになることやらおいしいお菓子とお茶をお供に気長に待つことに しましょうか。

 

つぶやきコラムI2001.3.10

「三月はものの始まろうとする月、動き出そうとする月、つまり気鋭の月といえる」と幸田文は著書「季節のかたみ」の中で言っています。 新学期や新生活など新しい事の始まりは4月という感じもするけれど、良く考えれば3月というのはそれら新しい事へ向かう前の状況が一段落する時期ですから 3月こそものが始まる月だというのは頷ける気がします。
入学・卒業・就職という大きな変わり目を含めても、私達はこれまで4月から3月をワンクールとしたサイクルの中でずいぶん長い事過ごしてきました。 私自身は学校を卒業した後幼稚園に勤めたので、仕事柄やはり4月から3月を一区切りとした1年を過ごしてきました。ですから3月になるといまだに(そろそろまとめの時期だなあ)と思う癖がぬけません。
1年を振り返り、次の年度に向けて新たな気持ちで準備を進めなければならない3月はいつも忙しくあっという間に過ぎてしまいます。でもそうして迎える4月は、いつのまにか近くに来ていた春の風の暖かさが、 新しい1年の始まりにすがすがしい気持ちを添えてくれるのです。
いつ頃から、どうして新学期が春になったのかは分かりませんが、四季の移り変わりを愛でるこの国で春に新しい年度が始まるということを、私はとても気に入っています。春は他のどの季節よりも 待ち遠しいものであり、心穏やかに過ごすのに最適な季節だと思うからです。
お菓子の世界では季節は先取りです。2月も中旬には雛のデザインを形どった春色のあられやおせんべいがウィンドウに飾られます。 外は雪がふぶいていてもウィンドウの中には一足先に春が訪れるのです。ピンク色を基調にした飾り菓子をお買い求めのお客様の表情はこころなしか嬉しそうで、こちらも心が弾みます。

本物の春は冬の風にまぎれてもうすぐそこまで来ているに違いありません。 のんびりゆっくり春を待ちながら、おいしいお菓子とお茶でほっと一息しませんか?

 

つぶやきコラムJ 2001.4

お花見こそまだまだ遠い遠野ですが、それなりに春らしい気候の日々が訪れています。我が家には小さい男の子がいますから、 少しでも暖かい日には散歩に出かけます。(実際はどんなに寒くとも彼は飛び出して行きますが)まだ少し冷たい風が吹いている町を、 お日様の光があたるところだけを見つめてふらふらとさまよっていると、冬の間は静かだった猫や犬の元気な姿を見かけました。
この辺りは犬を飼っている家が何軒かありますが、その中でもいつも会うのを楽しみにしている犬がいます。 その犬は家の玄関が居場所なので暖かい時、つまりその家の玄関が開いている時にしか会う事ができません。飼い主の方がよほど愛情を込めて育ててきたのでしょう。 この犬は人間に対して深い信頼感を持っていて、いつも穏やかな目をたたえ、私達が近付いても決して吠えたりせず、犬らしい好奇心旺盛な態度で私達の匂いを嗅ぎ、舐め、観察 するのが常です。なんて賢く、優しい犬なんだろうと驚きながら、私はいつも故郷の家で3年前に死んだ犬のことを思い出すのです。
故郷の犬は家族の中でも私が飼いたくて飼いたくて、みんなを説得してやっと飼う事のできた初めての犬でした。犬を飼うとどんなに幸せかということを手紙にして父の枕もとに しのばせたり、犬の世話は全部自分がやるからと約束もして、ようやく許してもらった時の嬉しさはよく覚えています。折よく姉の友達の家で子犬が生まれ、引き取り手を探してい たので早速もらってきたその犬は、小さくむくむくとしていて元気が良く、父が作った犬小屋が豪邸に見えるほどはかない存在に見えました。今まで飼っていた金魚や小鳥とは全く 違うそれを、私は胸をドキドキさせながら抱きしめ、なで、散歩し、可愛がりました。犬が少し大きくなって扱いが難しくなってくると、家長である父と御飯をくれる母、散歩に 連れて行ってくれる姉という順番で犬はなついて行き、私はすっかり見下されてしまいました。細身で目もとの涼しい、なかなか男前の犬でしたが、柴犬とスピッツの雑種なので 鳴き声がキャンキャンとうるさく、しかも私が途中でしつけを投げ出したせいですっかりやんちゃなきかん坊の犬になり、段々と私は犬との距離をおくようになりました。 どちらに首輪がついているのか分からない状態の散歩、たまに遊ぶとあごに突然の頭突き、彼にとって私は友達以下、家来のような存在だったと思います。それでも私も彼もお互い 気が向けば陽だまりの縁側に身を寄せ合い、何となく分かり合える瞬間と言うのもないわけではありませんでした。
それから私達はどんどん成長し、犬はどんどん年を取っていきました。彼の晩年は、不運にも一番家来だと思っていた私との暮らしでした。一軒家に私と犬、年を取っているとは言っても 外の犬小屋に彼がいると思うと少しは心強く、それは家族も同じ思いではなかったかと思います。初めて会ってから16年も生きた彼は、最後は糞を自分でだすこともままならなくなり やがて弱って静かに旅立って行きました。一番なついていた父が単身赴任先の東京から丁度帰ってくるという夕方に、父の帰りを待ちながらの最後でした。
私にとって犬を飼うと言う事は、自分の身勝手さをいやという程知る経験でした。しかし犬のことをなんて面倒な存在だろうと思いながらも、こんなにも沢山の思い出を共有していたという事実に は驚くばかりです。今私は食べ物を扱う仕事をしていますから、これからは生き物を飼う事はないと思います。 でもこの先どんな犬を見ても私はその中に彼を探してしまうことがやめられないし、その度に犬と一緒に過ごした日々と思い出を振り返ることも続くのでしょう。

穏やかな春の一日、ちょっぴりノスタルジックな思いに浸りながら、おいしいお菓子とお茶でほっと一息しませんか?

 

つぶやきコラムK 2001.5

春の雨の一日は、なんだか肌寒くて部屋の中も暗くなりがちです。すっかり春気分だった気持ちもくじかれて、しとしと降り続く雨をうらめしく思っていたのです。 お店にいらしたお客様や業者さんとも自然と天気の話しになります。この雨の中、スクーターで配達をしてくれた方がいらっしゃいました。「雨の中、大変でしたね。」と声をかけると 「ええ、でも恵みの雨ですから!」と笑顔で返され、はっとしました。そういえばこのところ、いいお天気ではなかったけれど雨も降っていなかったなあと思い当たりました。
雨が降ると、寒いし服はぬれるしうっとおしいし・・・と嫌なことばかり考えている私です。家にいる小さな男の子は外に出たい盛りですから、雨に降られると散歩にもいけません。 本当に雨の日は憂鬱だな、と思っていた矢先のこの一言でした。農作物に今の時期の雨はとても大切ですから、農家の方にとってはまさに恵みの雨に違いありません。 その方も農業に携わる人が身近にいてそんな言葉が自然にでたのかもしれません。でも、雨に対してマイナスイメージしかもてなかった私に「恵みの雨」という一言はとても心に響きました。 そして自分のことしか考えられなかった自分の心の狭さを反省させられました。
マイナス思考は自分の中でぐるぐると回り、どんどん大きく育っていきます。そこから抜け出すほんのささいな きっかけはこうした発想の転換かもしれません。物事に何でも裏と表があるように、プラス思考とマイナス思考も紙一重。ぐるぐる回って大きくなった暗い思いをひょいと裏から見れば、 あっけなく明るい出来事に出来る力は誰にでもあると思うのです。
私の場合、考え方の癖というか、物事をマイナスにとらえ易い所があり、なかなか出口が見つからないことが多いのですが、人の力をお借りして今回はとても明るい気分になることが出来ました。 今度その人にお会いしたら、お礼を言おうと思っています。

マイナス思考の一日も、おいしいお菓子とお茶でほっと一息、発想の転換ゲームはいかがですか?

 

つぶやきコラム13 2001.6

先日、実家の仙台に帰った時のことです。久しぶりに、置いていった卒業アルバムや手紙類に目を通していたら、小学4年生の時の日記が出てきました。
今でこそ三日坊主の道を堂々と歩いている私も、小学生の頃から高校生くらいまでは割とこまめに日記をつける人種だったのです。

思春期の頃の日記は、独り善がりで自分勝手、自分の心の動きを見つめてばかりいる内容なのでとても読み返す気にはなれません。日記自体どこにいったのやら、 人に読まれたら本当に恥ずかしいので早く処分しなければならない代物です。
でも今回発見した小学4年生の日記は、我ながらなんとも純粋で正直で、それだけに 今読み返すと爆笑の数々、家族にも公開しておおいに笑い、懐かしみました。
この日記の最初のページは、日記に名前をつけるという「素晴らしい思いつき」で始まるのですが 結局いい名前が考えられなかったとみえて、自分と同じ「キミ」という名前をつけ、「呼び捨てでいいよね!」と日記に同意まで求めていました。しかもこの思いつきは一ヶ月と もたず「やっぱりやめるね」とまたまた日記に同意を求めているのです。また、途中、母親と交換日記をしていたらしいのですが、「宿題をちゃんとするからウルトラマンレオと 江戸を切るを見せて!」と懇願しているページもあり、時代劇に狂い、変身ヒーローに夢中だった当時が偲ばれます。

どのページを見ても、よくもこんなに笑ったり怒ったり、感心したり悔しがったり 出来たものだと半ばあきれながらも、子供だったわたしの輝くような日々の充実感を感じ、なぜだかほっとした気持ちになりました。 大人になってこんなに輝く気持ちはもうなくしてしまったと思っていたけれど、なくしたのではなく忘れていただけだと気付いたからです。昔子供だった頃にちゃんと経験していたのですから。 ・・・なんてうっとりしていた私に母の声。「あなたって小さい頃から全然変わらないのねぇ。」そ、そんなことはないと思うのですが。

時には昔の日記を見て、子供だった頃の自分に会いに行きませんか?おいしいお菓子とお茶を忘れずに!

                                                                    

                                                                

 

つぶやきコラムM 2001.7

周囲を山に囲まれた遠野は、盆地のせいで冬は寒く夏は暑いと言われます。
それにしても今年の夏は、異常気象かと思うほど暑い日が続きました。一歩外に出ると、もあっとした重たい空気が体にまとわりつき、 それでも頑張って歩き出すと、自分の周りに一枚の薄い皮が張り巡らしてあるような閉塞感をおぼえます。息苦しいほどの暑さを振り切ろうとつい口をついて出るのは「暑いなぁー。」の一言。そういえば冬は同じような理由で「寒いなぁー。」と叫んでいましたっけ・・・。 何ともこらえ性のない自分にがっかりしつつ、叱咤激励して、夏ならではの嬉しさをたくさん考えてみることにしました。ちなみに冷房抜きの場合です。
まず、冷たい飲み物がおいしいこと。暑い暑いと汗をかきつつ、冷たい麦茶をぐいぐい飲み干した時の爽快さ。(人によってこれはビールに変わります)逆に暑くてのどがかわいたとクーラーのよく効いた喫茶店等に飛び込み、そのあまりの冷え込みに熱いコーヒーなどを うっかり頼んでしまうということもありますが、それはそれでおいしいものです。冷え過ぎの場所ではオーダーした冷たい飲み物が来るまでにすっかり体が冷え込み、ぶるぶるふるえながらやっとの思いで飲み干すことも往々にしてあることですから。
夏はお風呂の後の快適さもたまりません。寒い日にじっくり温まるお風呂もいいけれど、暑い一日の終わりにその日の汗を流し、出た直後の汗が一通り引いた時の気持ちよさといったら!ここですぐに何か飲まず、わざと自分をじらして冷たい飲み物を飲むというお楽しみもアリです。
そして夏は身軽です。Tシャツ一枚、短パンひとつで行動できます。ただ、あまり暑いからといって袖のない洋服は汗を吸わずかえって暑いそうです。一見窮屈そうに見える着物などは意外に風通しが良く、特に浴衣は綿100パーセントで汗吸いも良いというのは面白いですね。
冷たい飲み物のおいしさと相反するようですが、夏は熱い食べ物もおいしいと感じます。よく暑気払いといって、暑い時に熱い食べ物をたべるといいと言われます。確かにラーメンやカレーを大汗かきかき平らげて汗が引いた後は不思議と気持ちがよいですね。 ついつい夏は冷たい麺類が食べたくなりますが、パワーのある食べ物で夏ばて防止というのは理にかなっている感じがします。
他にも考えればいろいろ出てきますが、要は気持ちの問題という気がします。暑いということに現実的に対抗するならば、クーラーを入れるとか水風呂にはいる等しかありませんが、例えば打ち水をする、ガラスの器で食事をする、髪型や服の色など自分だけではなく人の目にも 涼やかな装いをする、怖い話を聞く等などちょっとした雰囲気の演出が、涼感を誘うのではないでしょうか?
特に冷房のなかった昔の人の夏の過ごし方には、着物の他にも風鈴や団扇、いぐさや蚊帳など夏を過ごし易くするヒントがたくさんありそうです。「暑いなぁー」と叫びつつ、何とか夏を夏らしく楽しめないものかと考える今日この頃です。

冷茶でも、アイスコーヒーでも温かいお茶でも。たまにはゆっくりとていねいにお茶を入れて、おいしいお菓子をお供に、ほっと一息気持ちを涼しくしませんか?

 

 

つぶやきコラムN 2001.9.20

本格的な秋の深まりが感じられるこの頃、遠野市立博物館を訪れてきました。遠野に住んで3年目、博物館に行ったのは実はこれが初めてなのです。博物館と隣接している図書館には毎週本を借りに行くのに、博物館にはなかなか行く機会がないままに3年も経っていました。
今回は特別展として展示されている「供養絵額」という企画が博物館を訪れるきっかけをつくってくれました。 供養絵額というのは、江戸時代から明治時代にかけて死者を供養するために寺院に奉納された色鮮やかな絵額のことであり、特にここ遠野地方は、その中心とも言うべく多くの絵額が奉納されています。その絵額に描かれているのは、美しい着物や軍服などで着飾った死者の姿であり、ご馳走や酒、菓子などが置かれた豪華な屋敷の座敷に座っています。死者はまた、生前に好んだ趣味や特技、遊び、仕事をしている姿に描かれ、子供なら玩具や好んだ動物とともに描かれています。(パンフレット参)

身近な人の死というものは、どんな時代にも人間が受ける最大の試練ではないかと思います。ましてや働き盛りや、幼くして、若くして死の世界へ旅立っていった人たちへの残された者の想いは、とても想像の及ぶところではありません。しかし、到底乗り越えられるものではない苦しみの中、亡くなった人たちがあの世できっと幸せに過ごしていると思うことで、何とか気持ちを整理しようとした、その想いが供養絵額なのでしょう。
私が見た中で最も心を打たれたものは、幼い子供を亡くしたと思われる母親が、自らその絵額に登場し、その子をあやしている姿が描かれたものでした。絵額は普通亡くなった人達だけが描かれており、例外として若くして亡くなった女の人には赤ちゃんを抱っこさせていたり、子供に友達を描いたりという例もあるそうです。その母親は、例え絵の中でもいいから、あの世とこの世に分かれてしまった我が子の傍に居たかったのでしょう。その絵を見ていて胸が締め付けられるような思いになりました。その母親の気持ちが、小さい子どものいる私にはとても切なく、痛かったのです。
これらの非常に貴重な絵額の数々は、遠野のいろいろなお寺に奉納されています。

今回遠野の人々の死生観に触れ、改めて自分の住む町の知らなかった文化に触れ、共感するという貴重な経験ができたことを嬉しく思います。これまでの私の遠野の知識は、ガイドブックに載っている情報以下であり、「昔話」や「民話」や「曲がりや」といった遠野の代表的な事柄だけを「遠野」だと思っていたのではないかな、と恥ずかしくなりました。折角縁あって住んでいる町です。これからはもっと好奇心の目をもって、その隠された素晴らしい文化を知りたいと思った一日でした。

それぞれの人にそれぞれの秋、「芸術の秋」「スポーツの秋」「読書の秋」「食欲の秋」、おいしいお茶とおいしいお菓子をお供にそれぞれの秋を極めてみませんか?

 

つぶやきコラムO

この秋、遠野に居ながらにして、素晴らしいアメリカの音楽と触れ合えるチャンスが巡ってきた。
10月6日から11月3日までの4回公演で行われているアメリカンミュージックフェスティバルの第一回公演を先ごろ観た。 遠野はアクセスの悪さや音響設備の整った施設の不足など、大規模なコンサートを開く機会が限られている。そんな訳で、正直今回のコンサートには楽しみはあっても過大な期待はなかったように思う。
ところがいざステージの幕が上がると私の心臓は雷に打たれてしまった。 舞台に楽器はピアノが一台である。しかし、ステージの4人のアメリカ人が放つパワフルなメロディは、声という楽器の無限の魅力が最大限に奏でられていて、私の目や耳は彼らの一挙一動に釘付けになってしまった。声といっても彼らの歌はその体全体がリズムであり、メロディである。そう思わせるほどにその表情豊かな歌声には、聴く者をひきつけてはなさいものがあった。
実はこのコンサートで歌われた歌は全て、私にとって初めて聞く曲であった。にもかかわらず飽きることなく彼らの歌声を聞いていたいと思わせる魅力あふれるコンサートであった。始めに抱いていた(眠くなりはしないか・・・)という心配はどこへやら、興奮冷め遣らぬ素敵な夜のひとときを過ごすことができたのである。
彼らは一ヶ月前に起きたテロのため、来日すら危ぶまれたと聞いた。それでもはるか遠くのここ遠野に、歌うためだけに来てくれたことも感慨深いことである。 もちろんこのようなコンサートを企画し、実行するまでの遠野の関係者の方々の努力と良い音楽を愛する気持ちにも、私はとても感動した。

とても豊かな気持ちで帰宅した、その次の朝はもっと驚くことがあった。昨日のシンガーが店に立っている!歌っていない時の彼らはとても気さくで親しみやすかったのだが、私は昨夜の興奮がフラッシュバックしてドキドキしてしまった。私は昨夜自分がいかに感動したかという上に記したようなことを感情たっぷりに述べた。かったのだが、いかんせん言葉の壁は大きかった。何よりも明がらすがうまく説明出来ない。『フライしているクロウなのだ。サンシャインなのだ。ナッツとセサミとライスパウダーなのだ。』と(多分相手にはこんな感じで伝わったはずである)まくしたてて何とか理解を得た。(と思う)日本茶を飲みながら一緒に写真を撮ったりして楽しいひとときはあっという間に過ぎた。 彼らが帰った後には、己の英語力アップの必要性に打ちひしがれてしまったが、これを機会に英語でも明がらすを説明できるようになりたいという新しい課題も生まれたのであった。 11月3日のチケットも手に入れたので、今はそれをとても楽しみにしている。

時には自分を開放して全く別の世界に置いてやることは、豊かな気持ちと新しい自分に会える行為である。それは私にとって音楽鑑賞であり、映画鑑賞であり、最も手近には読書である。おいしいお茶とお菓子ももしかしたらそのひとつかもしれない。

 

つぶやきコラムP     

よく「読書の秋」というが、私は冬であろうが春であろうが、読書をしないと落ち着かない。いつもまわりに「なんか読むもの」がないと落ち着かない。
極端な話、それは本でなくてもいい。チラシでも何でも活字があれば何とか落ち着くことが出来る。

思えば物心ついたときから私はそんな子供だった。学校の図書室で本を借りると、家に帰るまで待てない。いつも歩きながら本を読んでは、電柱や駐車中のトラックに激突していた。家に何とか帰り着くとやっと腰を落ち着けて本格的に読み始める。すると今度は誰が話し掛けても、大きな物音がしても何も聞こえなくなってしまう。 小学生の頃は伝記物にはまり、随分そろえた気もするが、物語も大好きでよく読んだものだ。。
新年度、国語の教科書をもらうと、授業の始まりまで待てずとりあえず一冊読んでしまうし、読むものがなければ姉や親の本まで読んだ。だからといって、成績が抜群に良かったとか、思想深い人間になったとかいう「いいこと」はなかったし、期待もしていなかった。

私にとって本を読むということは、物語の中の世界に入り込みその世界を自由に旅する自分を味わうこと、つまり日常とは違う世界に生きるワクワクするような冒険の旅だったのである。物語の中で私は大泥棒だったり、子鬼だったり、どこか外国の女の子だったりした。あらゆる可能性とチャンスと夢とハプニングは、「女の子らしくない」と周囲にいつも言われていた私をそんな次元ではない別の世界へ導いてくれるものだった。 怖がりだった私は夜になると暗いのが怖くて、怖い夢を見るのが怖くて、なかなか寝付かれないことが多かった。だから寝る前は毎日「世界の面白い話」や「こども落語」「まんがことわざ大辞典」を読んで楽しいことだけ考えた。 家族もよく本を読む人達だったので、休日には必ず本屋に行った。みんなであれこれ本を買い込んで、家に帰ると存分に読みふける。そういえば家族に「あれを読んだ方がいい」とかアドバイスされることはなかった。自分で選んできた本は何でも読むことが出来たし、まず買って貰えたと記憶している。

そのうち思春期を迎え、自分が何者なのか解らない、何がわからないのかも解らない混乱の時期を迎えたが、その頃はサルトルや太宰治、梶井基次郎などちょっと昔の難しい本を読むことで、その時期特有の心のアンバランスを補っていたように思う。「赤と黒」なんてさっぱり意味も解らなかったが「難しい本を読む自分」というスタイルが気に入っていたのだ。
お金もなく、図書館も遠かった時代には、本屋に通った。行ったら、まず新刊本を2冊くらい、立ち読みで読み通す。そして、棚を順番に廻ってパラパラめくりながら移動する。全く迷惑な客である。本屋に行くと2時間でも3時間でも、読みすぎでめまいがするまで楽しんだことがなつかしく思い出される。

大人になった今、じっくり長い時間本を読むことが難しくはなったが、相変わらず私は本ばかり読んでいる。物語よりもエッセイや人生史が多いが、やはりひとたびページをめくれば、瞬時に日常の何もかもを忘れどっぷりとその世界に没頭することは変わらない。新聞や広告チラシでも同様である。 こんなに本を読んで何かいいことがあるかというと、「ないかもしれないし、あるかもしれない」といったところだろうか。ヤサイジュースのように「鉄分やビタミン」がとれる訳でもないし、運動のように「筋肉」がついて健康的になる訳でもない。もちろん多く読んだからご褒美がもらえる訳でもない。 でも本を開けば、いつでも違う世界に飛び込んでいける。ワクワクするような気持ちやせつない気持ち、考え込んでしまうこともあるし、泣いてしまうこともある。その人の人生について深く考え、自分の生き方を見つめ、かと思うと面白さにお腹をかかえて笑っている。そのことは私にとって生きるための「栄養」だし「筋肉」である。本があって生活があるのではなく、生活の傍に本がある。いつまでもそんな生活を過ごしたいと願っている。