2002年の部

つぶやきコラムQ 2002.1

皆様新年明けましておめでとうございます。
去年の一番最初のコラムに「毎年新しい年を迎えると、その年の抱負を手帳の表紙に書き付ける」ことを書きました。 去年の目標のひとつは「一ヶ月に10冊本を読みたい」というものでした。 ですから去年の手帳には読んだ本の名前とちょっとした感想が書いてあります。 4ヶ月ほどはわりと細かく記していたのですが、その後は怠け者のクセが出て、いかにも後から思い出して書いたものになっています。 図書館に本を返してしまい、書名を思い出せなかったものも数多くありました。 じっくり読んだもの有り、流し読みもあり、本当に自分のためだけのいい加減な記録です。 それでもこのつたない記録を見ると、この一年の自分の本の好みが分かり、その時々の自分の心理状態が伺えます。 毎日日記を書くという行為の苦手な私にとっては、この手帳は一年を振り返る大切な資料となりました。
今年もそろそろ新しい目標を定める時期です。 振り返る時には短い一年も、24時間を繰り返しいろいろな出来事を乗り越えて過ごす毎日の生活は決して短いものではありません。 自分が何を感じたか、どう生きているか、今年も一歩一歩立ち止まって考えながらゆっくり進んでいけたらいいなと思います。 このHPも、ますます充実するように精進して参りますので、どうか皆様、今年もまつだ松林堂と当HPをよろしくお願い致します。

つぶやきコラムR

二月、遠野には最も厳しい寒さが訪れます。部屋の中にいても何だか体の芯が「うすら寒い」感じです。
この「うすら」は遠野に来て初めて知った言葉ですが、とても便利です。これなしではこの寒さの微妙な感じはもう表現できないような気がします。。

遠野に来て三年、いろいろな方言を知りました。家族が「あれ?これ、あめてる!」と言った時は(???飴てる?雨照る?どっちにしても分からない!)と心の中で叫び、知らない土地に来た寂しさをひしひしと感じていた私。 (正解は「腐っている」という意味です)
今では「ごみをなげる」と言われても、槍投げ(モチロン手にもっているのはごみ)をイメージすることもなく落ち着いたものです。
「お茶っこ」「わらしっこ」「娘っこ」「べごっこ」など、言葉の最後に「こ」とつくものの多さにも、当初は目を見張りました。家族の説明によると「小さくて可愛らしいもの、または愛着を持っているものに対し使う」とのこと、 この解釈後、「こ」のつくものは本当にいとおしい感じがして私のお気に入りの言葉になりました。
方言には、津軽地方などでみられる「省略の言葉」(「わたし」は「わ」、「来る」は「く」など)と、反対に長くなる「補足の言葉」に分けられるかと思います。遠野の言葉は後者の、長くなる言葉が多いようです。 以前、「このペン、書かさらないなあー」と夫が言った時、私は思わず「書けない、でいいじゃない。わざわざ長くしなくても・・・」と言いました。私にとって短くてもすむ言葉をわざわざ長くするのは、何だか損しているみたいな気持ちでした。
でも遠野の生活が長くなり、言葉が耳慣れてくるにつれ、不思議とその婉曲な言い回しは私にとって心和む言葉になっていきました。 遠野では子供を連れて歩いていると、実にたくさんのお年よりに声をかけられます。「今日は寒いね」とか「滑らないように気をつけなさいよ」とか「かわいいねえ」とか、一言二言の言葉ですが、柔らかい遠野言葉の響きは心にとても優しく、嬉しいものです。
また私の感じる遠野の言葉のもうひとつの大きな特徴は、そのアクセントにありました。一つ一つの言葉が連なり、文章としての話し言葉になった時、それはまるで音楽のように聞こえます。 聞いていて何となく温かい感じがするのは、やはり婉曲な言い回しと柔らかく穏やかなアクセントの置き方に由来するのでしょうか。

なまりはともすると標準語の反対としての存在、かっこ悪いとか恥ずかしいと思いがちです。私もそんな風に思っていたところがありました。でも文化としての言葉、自分のアイデンティティーを確認する言葉としてそれを考えた時、 今までの自分の気持ちは「うらやましい」という気持ちの裏返しだったのかもしれないと思いました。 自分が何処から来たのか、何者なのかということを突き詰めた時に、自由に自分を表現できる言葉や場所があることはとても誇り高いことです。 私も今後は、自由自在に遠野の言葉を操れないまでも、心はそうありたいと願っています。そのために今日も家族の遠野ことばを鋭くチェックする私です。


つぶやきコラムS

最近我が家に電子ピアノがやってきました。 これは私が実家で使っていた物ですが、誰も使わないので思い切って遠野まで送ってもらったのです。 私はピアノがほとんどひけません。初見で弾くなんてもってのほか、何曲かの童謡だけが両手で弾ける私の限られたレパートリーです。 随分長いこと、私にとって音楽とは自分の中で最も苦手な部分、触れられたくない領域でした。 小さい頃、姉の真似をして習い始めたエレクトーン。そのレッスンの苦痛さは活動的だった私にとって、今でも覚えているくらいつらいものでした。 みんなが難無くやっていることが私一人できない。弾くレッスンの他にもソルフェージュという歌うレッスンもありましたが、私一人音が取れない。ついには先生に「あまりエレクトーンが好きではないようです」と親に通告があり、私のレッスンは幕を閉じました。

その時から「私は音楽が苦手。」というフレーズが心の底にしっかり根付いてしまったようです。 音楽が嫌いなわけではなかったので小学校のブラスバンドや作曲クラブの活動には参加しましたが、どうもあまり楽しくない。歌う事は好きだけれど、音がうまくとれないので「音痴」だとも思い込んでいました。

そんな私が、保育の勉強をすることになり、そこで再び鍵盤と出会いました。本当は出会いたくはなかったのですが、やらなければ単位が取れません。出来なければ就職も危うい。 と、いうことで高校を卒業した年の春、ピアノを猛練習することになってしまったのです。ピアノを習っていた友人にバイエルを貸してもらい、毎日友人の家に通ってピアノを教えてもらいました。 そして、私の奮闘振りを伝え聞いた祖父がその春、電子ピアノをプレゼントしてくれました。 それからは夢中で毎日毎日練習しました。不思議なことにちっともつらくありません。むしろ楽しくて嬉しくて仕方ありませんでした。ピアノを習っていた人には初歩の初歩であるバイエルの短いフレーズでも、弾けるようになれば嬉しくて、何度でも繰り返し練習しました。「音って何て楽しいんだろう!」「歌って何て面白いんだろう」私は初めての感覚にすっかり夢中になってしまいました。 何とかピアノの単位も取り、就職を果たすと、今度は幼稚園で歌う歌を一生懸命練習しました。今度は楽譜とにらめっこしていてはダメ、歌いながら弾かなければなりません。これはもう丸暗記です。指が覚えるまでヘッドフォンをつけて夜中までやりました。 ピアノを習っている子には「先生,毎日練習すればきっと上手に出来るよ」と励ましてもらいましたし、私の手が止まってもそのまま歌いつづけてくれる(私のクラスの子ども達はみんなアカペラが上手になりました・・・)子ども達のお陰で、大好きな歌をみんなで歌う、そんな何よりも楽しい時間も過ごせました。

そんな訳で、私に音楽の最初の喜びを教えてくれた思いで深いピアノがこの電子ピアノなのです。 再び真剣に練習したら、何曲かは指が覚えていてくれて、最近の新しい楽しみになりました。
小さい息子もでたらめ曲で、一人で歌うようになりました。 詳しくなくても上手じゃなくても、音楽を楽しむことはいつでも出来るのですね。 小さい頃は気づかなかったこんな当たり前のことを今は心から楽しんでいる私です。