つぶやきコラム@ 2000.6.20

みなさん、はじめまして。まつだ松林堂Web担当の松田希実です。 遅れ馳せながらようこそ当店のホームページへ!
このコーナーではお菓子を食べながら過ごす 楽しい一時に、チョットした話題を提供させていただきたいと思っています。
頑張って更新していきますので、時々覗いて見て下さいね!

春が来たと思ったら、世の中はあっという間に暑くなっていました。 でも冬が長い遠野ではまだまだ肌寒い日も多いのです。
暑いのかと思えば寒かったり、その逆もあり、 着る物に悩んでしまいます。
でもそのお陰で、シロツメクサやクローバー、山ツツジは今が盛り!

先日も散歩に出かけて四葉のクローバー探しに没頭してしまいました。
15本くらい見つけましたよ!! 四葉のクローバーを見つけるコツは、
@あまり人が通らないところの、(誰にも探されていない可能性 が高い)
A大きすぎないクローバーの中から、
Bとにかく一生懸命探す!ことです。
しかし、 影のところでしゃがみこんでいて、怪しまれないようにくれぐれもお気をつけ下さい・・・。

たまには子供の心にかえって、おいしいお菓子とお茶でほっと一息、リラックスしませんか?

 

 

つぶやきコラムA 2000.7.1

いよいよ梅雨の季節がやってきました。 肌寒かったり、雨降りで湿気が多くじめじめしたりで、気持ちもなんとなく下向き加減・・・。
日本のように狭い島国でありながら、四季がはっきりと分かれ、しかも地域によって季節の様子が 違うという国は世界中を見ても珍しいようです。

そういえば海外文通用の文例集には、必ず、日本の梅雨について説明する文章が載っていました。
中学1年の時にはじめてペンパルが出来たわたしは、梅雨の時期、迷わずそこの文を丸写しして 送ったものです。
それまで「私の名前はkimiです。」「私は中学1年生です。」「私は4人 家族です。」レベルだった英文はいきなり
「梅雨の間の天候はとても湿度が高く、不快です。 しかし、梅雨は米を作るのに必要です。」などとカッコ良くなりました。
しかし、楽をした罰があたったのか、英語力が身につくどころか、私の英語力を誤解したペンパル からスラングまじりの手紙が届くようになり、
その頃にはもはや本の例文も尽き果て、文通は 終わってしまいました。

話は脱線しましたが、梅雨は日本独特の情緒のある自然現象なのです。
日本人の、季節の移り変わり を大切にとらえ、自然を愛でる心は文学・芸術面ではもちろんお菓子の文化にも大きな影響を与えて きました。
春・夏・秋・冬それぞれの季節の花や生き物をかたどった菓子の数々は、私達の心を和ませ、ゆとりを 与えてくれるような気がします。

雨の一日、自然の偉大さを思いつつ、おいしいお菓子でほっと一息リラックスしませんか?

 

 

つぶやきコラムB 2000.8.1

夏です!プールや海で過ごす予定の方も多いでしょうね。

私は幼い頃水に入るのが大嫌いでした。何より顔に水がかかるのが嫌でした。
ですからシャンプーなんてもっての他、それが嫌で家出したこともあるくらいです。 (もちろんすぐに連れ戻され、がっちり洗われました。)

小学校一年の初めてのプール授業の日は、今でも覚えています。
勇気を振り絞り 「先生、私泳げないんです。こわいんです。」と打ち明けると、担任の先生は 一言「あ、そう?」取りつくしまもなく半べそで水に入りました。

初めて海に入った日の事も忘れられません。
親戚の中になぜ必ず一人は、嫌がる子供を 海に入れる係りがいるのでしょうか。
面白半分の大人達は、泣いていやがる私の手に ヒトデやらカニやら握らせましたが、楽しいなんて決して思えませんでした。

どうしてあんなに水がこわかったのでしょう。溺れた事もないくせに・・・。
スイミングを習っている友達のみずみずしい姿を見るたびに、プール納会のジュース拾い 専門の身には羨ましく感じたものです。

それでも4年生の夏にはのろのろと50mは泳げるようになりました。
泳げるようになったら 水が少しづつ怖くなくなっていました。

そんな私がスイミングスクールのインストラクターのバイトをするまでになるとは、そして、 社会人になって、毎日のようにプールに通うようになるとは!!!
今では泳ぐ機会もめっきり なくなりましたが、前世は魚だったかもと思っているくらいですから、人間なにがどう変わるか わからないものです。

そんなこと言ったって水は嫌いという皆さん!夏の楽しみはプールや海だけではありません。 自分なりの夏を楽しく過ごしましょう。
暑い一日は打ち水をして、涼しい風鈴の音色でも聞きながら、おいしいお菓子でほっと一息 しませんか?

 

 

つぶやきコラムC2000.9.1

今鳴いておかなければだめだというように、一晩中コオロギが鳴いていました。 段々と朝晩が涼しくなり、夏が終わろうとしています。
夏の終わりはいつも、寂しいような 懐かしいような、不思議とセンチメンタルな気持ちに襲われます。
太陽が照りつける暑さと夏の思い出達、それらにエネルギーを放出したことへの脱力感の真っ只中にいた自分が、涼しい風でふと我に返るようなそんな感じです。

さて、今年の夏は、毎日下駄をはいて過ごしました。
お店にいる時はもちろん、自転車で配達に行く時も、ちょっとそこまで買い物に行く時も、 カランコロンと下駄を鳴らして歩いていました。
20年も履きこまれた下駄を譲ってもらったので、始めから足にぴったりと馴染み、下駄の歯も もとの半分くらいの高さに磨り減って、ちょうど言い具合でした。
なんといっても今年の厳しい暑さの中で、この下駄を履いている間は一度も足が湿っぽくならずにすんだのは嬉しい事でした。
また着る物も選ばず、ふとつっかけていける気軽さも、下駄という ものに対する今までの自分の認識を180度変えるものでした。

ところが、あまり毎日履きつづけたせいか、鼻緒の裏側の留金がはずれ、その上親指のあたる部分の 板が欠けてしまったのです。
20年以上履いたのだからこれは寿命なのだ。という思いと、この夏を一緒に過ごした下駄への 愛着とが入り混じりとても寂しい思いになってしまいました。
そんな時、駅前に昔からの下駄やさんがあったのを思い出し、だめでもともと、訪ねてみる事に したのです。
結果を先に言いますと、見事に下駄は生き返りました。 木が欠けていた事などちっとも感じさせない、素晴らしい名人の技です。
私は今年の夏の残りはおろか、来年も再来年もこの下駄と一緒に過ごせることになりました。

お気に入りの下駄が直った喜びよりも、下駄やのおじいさんと、その職人技に出会えた事が 私にとって大切な経験になりました。
今時、下駄の需要はどのくらいあるのでしょうか? ましてや下駄の修理などいわずもがなだと思います。
しかし、長年続けてきた職人の誇りと確かな技は、決して衰えることなくしっかりと生きつづけて いるのです。
これからの世の中、こうした技を持つ職人さんは、後継ぎの問題や社会の事情の 移り変わりによってどんどんいなくなる運命にあるのかもしれません。
使い捨てや機械化が進み、ある意味便利な、そしてある意味モノがモノとしてしか生きられない 世の中で、何十年も使いつづける事の出来るものもあるのだということ、そしてそれを支える人達の 存在に、気づかされた夏でした。
直してもらった下駄をもうこわさないように、私はそのお店で新しい下駄を購入し、 今2足の下駄を交代ではいています。
この下駄の歯が半分になる頃の私は、どんな毎日をすごしているのだろうと思いを馳せながら、カランコロンと歩いています。

 

 

つぶやきコラムD 2000.10.1

秋は食べ物がおいしい収穫の季節です。
秋と言えば、「芸術の秋」「読書の秋」いろいろありますが 私は何といっても「食欲の秋」です。
私の胃袋は年中食欲旺盛ですが、秋は本当においしいものが たくさんあります。さんま、栗、きのこ類、どれもしみじみとおいしく、夏の暑さに費やしたエネルギー もすぐに取り戻せそうな気がします。おいしいものを食べている時はみんな笑顔になるのも嬉しい事 ですね。おいしいことは楽しい事、楽しい事は嬉しい事です。 ことこと煮込んだ温かい料理が恋しくなるのも、やはり秋を感じます。

小さい時の私はあまり食べる方ではありませんでした。 絶対に食べられないという食べ物はなかったものの、出来れば食べたくない「食わず嫌い」が結構 多かったような気がします。
例えば「ロールキャベツ」、 キャベツもひき肉も好きなのに、それが合わさってトマトソースで煮込まれると何故かのどを通らなく なるのです。我が家ではコンビーフを一緒に煮込んでいたのですが、それもダメでした。 コンビーフだけなら好きなのです。
同様の理由で、鍋物やすき焼きにはいっているしいたけも苦手でしたし、しんなりと炒めたナス も嫌でした。
大人になった今はこれらの食べ物をとてもおいしく食べています。 自分で料理を作るようになったからか、味覚が成長したからなのか分かりませんが、どんなものでも おいしいなあと思って食べる事が出来るのは本当に幸せな事なのだと思います。 悩み事がある時はごはんもおいしく食べられません。体調がすぐれないときは尚更でしょう。 おいしそうだな、と思えること、おいしいな、と思えることは自分の心と体の元気を探るバロメータで もあるのです。
そんな食いしん坊の私ですが、未だにどうしても食べられないジャンルのものがあります。 みんながおいしそうに食べているのに食べられない。(ああ、損しているなあ)と悔しくなることが度々 あります。今年も食欲の秋が巡ってきましたし、何とか努力してみようと思う今日この頃です。

 

 

つぶやきコラムE2000.11.1

山々の紅葉を楽しみつつ、来るべき冬に向かって暖房器具の準備など、冬支度も気になる季節となりました。
今月のテーマは「あだ名」です。 皆さんは「あだ名」で呼ばれた事がありますか?
今はともかく小学生くらいの頃は友達にあだ名をつけたり つけられたりした記憶が誰にもあるのではないでしょうか。 今思い返すと、本人には可哀想なあだ名も多かったような気がします。
例えば「かつら大臣」。その子は前髪をきりりとそろえたおかっぱ頭なだけだったのですが、その当時 前髪を片手で押さえて上下させ「かつらー!」と叫ぶと言うおふざけが流行っていたせいで、そんなあだ名 になったのです。大臣というところに格があるようなないような。でもその子の髪が真っ黒でとてもきれい だったことは印象に残っています。
かく言う私も、いろいろなあだ名をつけられました。 ざっと挙げると、「たまご」(名前がきみだから。)、「でめきん」(目が大きかったから。) 「がいこつ」(やせていたから)、「こんにゃく」(体が柔らかかったから)、「おとこおんな」(字の通りです…) などなど。理由を考えると、なるほど、なるほどといった感じですね。まあ、あだ名に素敵なものは ないものですが。 私は「おとこおんな」と言われるだけあり活発だったので、いろいろなあだ名で呼ばれても特に気にも しませんでしたし、むしろそれを楽しんでいた記憶があります。(今「でめきん」といわれたらちょっと傷つくかもしれません)
そこに悪意があるかないかによって、それは遊びにもなり、いじめにも思えるのかもしれません。
あだ名についてはどの人も少なからず思い出があるはず。初対面の人でも、そんな話題から話が広がる こともありそうです。
おいしいお菓子とお茶をいただきながら、楽しいお喋りでほっと一息しませんか?

 

 

つぶやきコラムF 2000.12.1

例年12月を待たずに雪が降る遠野、今年も遅目ではありながら雪がしんしんと降り始めました。
寒い寒いと言いつつ、外はまだ秋の匂いがしたのですが、雪が降ると途端にぴりりと冷たく寂しいような匂いがしてきました。
「季節」を匂いで感じる人は結構多いのではないでしょうか。それは直接的な「春の花の匂い」等とは少し違います。雨が降った時に埃くさいような土臭い匂いがするように、「季節の匂い」はおおむね空気の匂い、あるいは空気や気温が持つ雰囲気の匂いなのではないかと思います。
それらは言葉で表現するのがとても難しい匂いです。冬の終わり、上着の衿を立てて身を縮めて歩きながらふと感じた柔らかい匂いの風に春の訪れを知らされ、 春は、気持ちが優しくなるような心地よい匂いを胸一杯に吸い込み、夏はじりじりと熱くなった肌にあたる冷たい水の心地良い匂いを嗅ぐ。それらの匂いには 桜並木やセミの鳴き声、色づいた枯葉やボタン雪のかたまり等たくさんの景色が背景にあります。 人それぞれに、育った土地や暮らしの風景があり、季節を感じる度に思い出すエピソードもあるでしょう。季節の匂いは、そんな「思い出」や「風景」や 「温度」や「気持ち」、たくさんのものにより一人一人の心の中に生まれる声なのかもしれません。

さて、早いもので今年も残り一ヶ月となりました。2000年問題だ、ミレニアムだとずいぶん騒がれた今年ですが、一日一日ミレニアムを強く意識して生活 するわけでなく、時に山あり谷あり、静かに過ぎて行きました。 来年は、今度は「21世紀の到来」ということで、一般市民の私にとっては(なにか記念になることでもしなければ)と世論に躍らされつつ、やっぱり静かに 新しい年を迎え生きていくのだと思います。
このHPをアップして半年、皆様に支えていただき何とか毎月更新することが出来ました。心より御礼申し上げます。どうもありがとうございました。 来年も、毎日こつこつとおいしい明がらすを作りながら、HPも地道に更新して行きたいと思います。 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。