@「3本足のカラスの謎」

当店の明がらすにイメージされたカラスは3本足のカラスである事は御存知でしょうか?  
3本足のカラスは神様の使いであり、大変縁起の良いものとされています。  
では何故カラスが神様の使いとされたのでしょうか?そして3本足のカラスとは・・・?  

中国の天文・方位学の古書である「淮南子」(えなんじ)には、『日の中に跋烏 (うずくまったカラス)あり』 として、太陽がカラスの住みかであると記されています。  
淮南子は2000年以上も前の文献ですが、太陽の黒点を見て、このように記したものと考えられます。

当時、どのように黒点を観測出来たかは定かではありませんが、おそらく部分日食の際に太陽の表面の黒いものを見てそう考えたのではないかといわれています。  
太陽とカラスに関するおはなしは、日本書紀の中にも記されています。  
それは神武天皇が東征により、熊野の地に赴いた時、天照大神が天皇の道案内としてカラスを遣わしたという物語です。
天照大神は太陽の神様であり、その使者としてカラスが遣わされたというのは先の話と合わせて興味深いですね。  

そして、天皇がカラスの案内によりたどり着いた熊野本宮大社には、3本足のカラスをモチーフとした旗 があるのです。  
この「3本足」が意味するものは、当時神武天皇に組した熊野の三豪族を象徴したものだと言われています。  

古代の人々にとって、神聖なものであった太陽、そしてそこに住むといわれたカラスはやはり特別な存在だったのかもしれません。

 

 


   

A「カラスとたにしの関係?」

昔話の中には「ねことねずみは何故仲が悪いのか」といった自然界の強弱関係を言い伝えたものが数多く残されています。
今回は山形に伝わる民話から、「からすとたにしの歌くらべ」というお話を紹介します。

**********************************************
「カラスとタニシの歌くらべ」
ある天気の良い日、からすがたにしをひろって食べようと思い田んぼに行ったんだと。
すると田んぼにはたにしが一匹一休みしていた。 からすがたにしを食べようと近づいたところ、たにしはこんな歌を歌い始めた。

♪〜 からすどのとはおまえのことか
身体の羽根色つくづく見れば
びろうど衣装を着たようだ
かおいかおいと鳴く声聞けば
八幡林のせみのようだ            ♪〜

ほめられたからすは、たにしを食べるのをやめて杉の木に止まると、かおいかおいと良い声で 鳴き始めた。
するとそのまま黙っていれば良かったのに、たにしが今度はこんな歌を歌った。

♪〜 からすやろうとは汝がことか
身体の正体つくづく見れば
炭焼きじさまの着物のようだ
かおいかおいと鳴く音聞けば
こわれたやかんの河原ひきずるようだ               ♪〜

これを聞いたからすはかんかんに怒り、いきなりたにしをつかむとぱくりと食べてしまった。
それからというもの、からすはたにしを見つけると、すぐに拾って食べるようになったんだとさ。
*********************************************

この話を読むと、昔の人達が田んぼのたにしをついばむからすの姿を見て、こんなにもイメージ 豊かなお話を作ったことに驚かされます。
また、その土地によってこうしたお話がいろいろに脚色 され、微妙に違って伝わっている事も興味深い事です。
モノの少ない時代だからこそ日々の生活に想像力を膨らませ、豊かな心で暮らした昔の人達の営みから私達が学ぶべき事はたくさんあるのではないでしょうか。

 

 


B「ものまねカラス」

スズメはチュンチュン、ウグイスはホーホケキョ、そしてカラスはカーカー・・・。 鳥はいろいろな鳴き声を持っています。
このような鳥の言葉は、人が学習によって言葉を覚えこむのと違い、生まれつき備わっているのが 特徴です。
人間でいえば泣く、笑うという誰から教えられなくても身についている行動と同じように カラスは生まれた時から「カーカー」と鳴けるのです。

しかし、実際には歌うのが上手なカラスと下手なカラスが存在します。
こうした違いは、ひなの時代での学習によって発達したものであることが多いのです。

皆さんは季節初めのウグイスの鳴き声を聞いた事がありますか?
ウグイスの幼鳥は、はじめは 「ケキョ、ケッキョ」といった感じで鳴いているのですが、段々とその鳴き声は洗練されて行き、 やがて「ホーホケキョ」と美しい声で鳴く事ができるようになります。 (日本では、鳴き声の美しいウグイスやホオジロなどの側に同類の鳥を付け、その音色を習わせる 「付け子」という制度もありました。)
野生のひな鳥達は、彼らの両親あるいは他の成鳥から歌を学習しなければなりません。
もともと遺伝的に備わっている歌をさらに発展させ、なわばりを設定したり、求愛したりする バリエーションを増やして行くのです。
このような学習能力の多くは幼鳥期に限られ、成鳥に なると消滅してしまうものです。
ところが、この能力が成鳥期にまで及び、様々な音色を覚え、発声することができる「ものまね鳥」 がいます。
キュウカンチョウ、オオムの他、日本ではカラス科とムクドリ科の鳥がこの能力を持っています。
カラスは賢い鳥だとよくいわれますが、人間の行動をじっと観察して生活している鳥らしい習性 だと思いませんか?

このことと関連して、人間の生活に密接につきまとっている鳥の鳴き声が地方によって多少違う という報告があります。
これは言うならば鳥の方言ともいえるもので、つまり、岩手のカラスは岩手弁 で鳴き、京都のカラスは京都弁で鳴くというのです。
「鳥もなまる」これは意外な発見ですね。
いつも聞こえるカラスの鳴き声を、このような違った視点で聞いてみるのも面白そうです。

 


C「カラスの濡れは色」

皆さんは「ふくろうの染物や」のお話を知っていますか? 昔ふくろうは、自身の体もいろいろな色に染め分け、染物屋をしていたそうです。
とても腕が良かったので、様々な鳥達がやって来て、色をつけてもらっていました。 そんなある日、夕方近くになってカラスがふらりとやって来ました。
ふくろうは今日はもう疲れたから明日にして欲しい」と言って断ったのですが、 カラスはどうしても染めて欲しいと言って、ふくろうをせかし始めたのです。
ふくろうはすっかり慌ててしまい、いろいろな色が入った染つぼをひっくり返して しまいました。
仕方なくその混ざった色でカラスを染めたので、カラスは真っ黒になってしまった というお話です。

このお話の真意の程はどうあれ、確かにカラスほど真っ黒の色をした鳥は、他に 見当たりません。
遠くから見ても、近くで見ても、真っ黒で眼光鋭いカラスの姿は なるほど「ずるがしこい」「コワイ」といったカラスのイメージにぴったりなように 感じます。

しかし、カラスの黒さを例えた表現に「カラスの濡れは色」という言葉があります。
これは、黒の中でも特にその様子が深いことを表す言葉で、日本人の黒髪の美しさを 表す代名詞でもありました。
今は真っ黒の黒髪は重たく見えるということもあり、明るい 色に変える人が主流ですが、海外ではむしろ、カラスの羽のようにつややかで、漆黒の 髪の毛は「オリエンタルビューティー」として高く評価されているのです。 そんな視点から見ると、真っ黒くて他に類を見ないカラスの色は、個性的ともいえるのでは ないでしょうか?


 

D「俳句の中のカラス」

カラスは年中いる鳥なのでそれだけでは季語にならないのですが、季節を感じさせる言葉と合わせて、いくつかの季語として存在しています。
またカラスは「烏」と表記するのが一般的ですが、俳句の世界では「鴉」の語を用いています。
例えば春は「鴉の巣」、夏は「鴉の子」、冬は「寒烏」、新年は「初鴉」といった具合です。

よく知られた俳人で、カラスの句を多く詠んでいるのは高浜虚子です。
かわかわと 大きくゆるく 寒鴉
子鴉を 飼へる茶店や 松の下
初鴉 廓(くるわ)の夜明けも ただならず

また小林一茶のカラスの句には次のようなものもあります。
提灯(ちょうちん)も ちらりほらりや 初鴉

以下にいくつかカラスを詠んだ句をご紹介します。目で読むと共に、声に出して味わってみると尚、 俳句という短い五七五に込められた作者の思い、情景が不思議と心に浮かんでくるものです。

食べ飽きて とんとん歩く 鴉の子    高野素十
寒鴉 己が影の上に おりたちぬ     芝不器男   
夜をはなれ ゆく麦の芽と 初鴉     飯田龍太
巣鴉を ゆさぶってをる 樵夫(きこり)かな  大須賀乙字
たそがれの なにか落しぬ 鴉の巣    畑耕一
初鴉 カラス語辞典 編まんかな     永野孫柳

カラスはその印象があまり良くないためか、カラスを詠んだ俳句は多くありません。 これほど人間の生活に密着した鳥ですから、日常の様々なシーンで、季節と密着した姿を見せている はずなのですが、少し残念な気がします。


Eカラスにまつわる色達

カラスが真っ黒な鳥である事は、周知の事実です。
カラスによっては灰色っぽいとか、青っぽいとか微妙な違いはあるかもしれませんが、カラスの色はおおむね「黒」とされています。
そんな大きな特徴から、カラスという語を使った言葉には、色にまつわるものが多くあります。

「烏の雌雄」…カラスがオスもメスも真っ黒で、区別が難しいことから、善悪や是非の見分けが外見では なかなかつきにくいことの例え。

「烏羽の文字」…カラスの羽に墨で書いた文字の意から、そのままの状態では読む事が出来ないことの例え。

「烏の頭が白くなる」…ありえないことの例え。

「烏はいくら洗っても鷺にはならぬ」…生来のものをいくら変えようとしても無理な事だと言う例え。

「烏を鷺」…黒い鳥を白い鷺だと言い張る事から、不合理な事柄を無理やり正当化しようとすること。

「烏の濡れ羽色」…髪の毛が黒くてつややかな事の例え。

日本では昔から「白黒をはっきりつける」等というように、黒はあまり良くない事のイメージに使われがちです。 それゆえに、カラスという鳥の色の程度の高さが、こうした例えに使われるようになったのでしょう。
カラスにとっては名誉なのか不名誉なのか…実際にどう思っているかは誰にもわからないことですね。

F「明がらすの由来攻防戦」

今から46年前、昭和31年7月5日の「広報とおの」にて「遠野名物明がらすの由来」と題した寄稿文が紹介されました。

その Y氏による明がらすの由来は次のとおりです。

徳川幕府が倒れて明治政府が始まった折、当時岩手の城主だった南部氏は奥羽同盟に加わって反抗したが敗北、 無条件降伏した。
遠野藩もともに敗戦国となり、鍋倉城を占領するため岡山池田藩の兵隊が進駐軍としてやってきた。
その池田藩の兵隊は遠野の町役人に対していろいろの物品の調達を命じたが、その中に「毎日上等の菓子を差し出すように。」という命令があったという。 そこで「昨日まで敵だった官軍に上等な菓子を食べさせるとはいまいましい。廃物や残り物で何か菓子らしい物を作ってやれ。」と、 羊羹のくずや生菓子の廃物、白あん黒あんの残り物、干菓子の廃物などを全部混ぜ合わせてから、申し訳ばかりにクルミを混ぜて四角に切り 「遠野名物くるみ糖でござる」と差し出したと言う。 ところがこれが以外にも進駐軍のおめがねにかない、次々と注文が来るようになってしまった。廃物や残り物では間に合わなくなってしまい、材料も本式のものをつかううち、 ついに本当の名物になってしまった。

という話なのです。 文章の最後には、明がらすの商標登録を持つ店についての記述もあります。

これを読んだ当店三代目の松田友樹は次号8月5日の「広報とおの」に先の文章の誤解を去りたいと次のような文章を寄稿しました。

伝説としては認めるが、実話としてそのような話を認めるわけには行かない。
恐らく池田藩の兵隊に対する反抗心から 座興的に粉飾して自慢話として広がったものだろう。
『そのような馬鹿げた気持ちで菓子を作る技術者は今も昔も一人だってあるものではない、と私は断言する。』

そして、明がらすの元祖としてまつだ松林堂が商標登録権を所有している事実を述べ、文章を締めくくっています。

友樹の文章は、Y氏とも話し合った後での寄稿ですから、「主張の対決」のようなものではないのですが、関係者としては なかなかスリリングな展開に思われます。

ひとつのお菓子について諸説様々入り乱れること、また元祖を巡っての火花の散らしあい、といったことはお菓子に 限らずよくあることですね。
諸説が入り乱れるほどそのお菓子は古い歴史を持っているということですから、ある意味では明がらすの良い宣伝になったのかもしれません。

でも、やはり「くずの寄せ集め」説は根拠のない話に過ぎないと思うのですが・・・。
かなり古い銘菓紹介本には「明がらす」の由来について「くずの寄せ集め」説を載せている本があるのですが、さすがに最近は そのような説を唱える人はいなくなったと思われます。

明がらすに限らず、全国様々なお菓子についてもいろいろな解釈がなされていることでしょう。日本の歴史とも密接にかかわっている それらの解釈を、正解不正解に限らず調べてみたら、案外面白いかもしれません。